2016年9月14日水曜日

【9月新刊】『セーブ&ロードのできる宿屋さん』体験版

こんばんみ、アシタカです!
今日は9月21日(水)に発売される注目の新刊
『セーブ&ロードのできる宿屋さん
~カンスト転生者が宿屋で新人育成を始めたようです~』
の体験版をお届けします!
なんと作者の稲荷竜先生がこのためだけに書き下ろしてくださったスペシャルな体験版!
「どんな作品なんだろう?」「面白いのかな?」と思っている方はぜひ下の体験版を読んでみて下さい! 
ただし! 電車など公共交通機関では絶対に読まないで下さい! 
ニヤニヤして変な人に見られても編集部は一切責任を取れません! 
それくらい危険な面白さなのでご注意を!
そして面白かったらぜひ! 書籍をお手に取って下さいませ! この体験版からさらに2倍も3倍も濃いめくるめく宿屋ワールドをお楽しみに!


























【タイトル】
セーブ&ロードのできる宿屋さん 体験版


【あらすじ】
『死なない宿屋』。
 そう噂される店が王都には存在する。冒険者のあいだで『本当にあったらいいな。でもありえない』と語られる都市伝説を、しかしレジーナという少女は本気で追い求めていた。必死に探した末にたどりついた『死なない宿屋』。そこがなぜ、そのような都市伝説で語られるかと言えば――

「セーブすれば、死んだって生きてますからね。安心でしょ?」

 宿屋主人アレクは『セーブポイント設置能力』という不可思議な力を持つ、異世界から転生してきた者らしい。
 レジーナは彼の助けを得て、母のために『きらめく流砂』というアイテムを求めダンジョンに挑むことになる。しかしアレクの『助け』はそれはそれは壮絶なもので……
 死んだってロードすれば平気! な宿屋の新人育成ライフ体験版。

◆1話『死なない宿屋』


 その宿屋は噂にたがわぬ無気味さで、レジーナはつい引き返したくなる。
 まず外観がおんぼろだ。
 二階建ての石造りの家屋。
 看板がかかっていなければ、ここをなにかの店だと思うのは困難だろう。

 それに、日当たりが悪い。
 まだ昼前だというのにあたりはやけに薄暗かった。
 きっと、このあたりには建物が密集しているせいだ。
 人の気配のない石造りの区画は、どこか冷たい感じがした。


『その宿屋に宿泊すると死なない』。


 モンスターと戦う冒険者界隈では縁起のいい、そして『そんな宿が本当にあったらなあ』というため息とともに語られる『幸運をもたらす都市伝説』。
 しかしレジーナはこの話を聞いた時から無気味さばかりを覚えていた。

 たぶん、昔から怖い物語ばかり聞かされてきたからだろう。
 レジーナの母は創作冒険譚作家だった。
 収入は多かったとは言いがたい。

 だから、レジーナの服装だって王都に住んでいるわりには地味で、どこか田舎っぽい。
 鎧だって今時革の胸当てと籠手だけだし、武器は貴族のお屋敷でゆずってもらった……というか廃棄されているのをもらった、馬上槍だった。

 もちろん、馬はいない。
 そんな高価なものは買えないし、買ったところで維持できない。

 端的に言って、お金が必要で――
 そのために、そしてもう一つの大事な目的のためにレジーナが選んだ職業が『身一つでダンジョンにもぐりモンスターと戦う』、冒険者というもので――

 そして今。
 自分の実力では叶わないような目標のために、都市伝説を頼って『死なない宿屋』を探していた。


「……わたしが、やらなきゃ」


 ミルクにカラメルをとかしたような色の、ふわふわの癖っ毛をおさえつける。
 そして、ついに幽霊屋敷のようなその宿の扉を開いた。


「いらっしゃいませ。ようこそ『銀の狐亭へ』」


 急に男性の声がして、レジーナは飛び上がりそうになる。
 そのせいで、背負った馬上槍が扉の上部に当たり、ガツン! と大きな音を立てた。
 レジーナは慌てて店内に向けて謝罪する。


「あわわわ……ご、ごめんなさい……ごめんなさい……」
「……あわわわ……リアルにそう言う人は初めて見た……」
「えっ?」
「いえ。それよりも大丈夫ですか?」
「あ、は、はい……」


 と、そこで初めてレジーナは、会話相手のことをしっかり見た。
 声の主は、やはり男性だった。

 男性は背後に窓を背負った受付カウンターにいる。
 珍しい。受付なんて、だいたいが下働きで、しかし奴隷ではない女性の役目なのに。

 男性の容姿から、レジーナは穏やかそうな人だという印象を受けた。
 浮かべた笑顔からは包容力を感じさせる。

 年齢は……これが、よくわからない。
 普通のシャツと普通のズボン。
 首にはタイが巻かれていた。
 服装は若々しい感じではないが、宿の受付だったら、若い人でもこのぐらいの格好が適切かなとも思う。

 容姿が、これまた年齢不詳だ。
 さすがに少年と言うにははばかられるが、目を細め笑う表情は、青年と言われても、中年と言われても納得できてしまう。

 レジーナは平たい胸に手を当てて、深呼吸を三度繰り返した。
 それから。


「あ、あの、つかぬことをおうかがいしますけど……ここって……どういうお店ですか?」
「宿屋です。屋号を『銀の狐亭』と申します。ご宿泊ではなかったので?」
「あ、いえ、その、看板を見たから宿なのはわかります。そうじゃなくって……えっと」


 言葉に詰まる。
『ここは死なない宿屋ですか?』などという質問をして、もし違ったらどうしようという気持ちがちらりと働いたのだ。

 普通、泊まった程度で死ななくなる宿など、ない。
 魔法はあるが不死の秘術はないし。
 様々な種族はいるけれど、不老はいても不死の種族はない。
 薬品や魔導具、魔石だって、人から『死』を奪うようなものはなかったはずだ。

 だからこその都市伝説。
『死なない宿屋』は、『そんなのがあればな』という冗談として冒険者界隈で語られる、お伽噺なのだ。

 この年齢になって未だに空想と現実の区別がついていない人扱いされるのは嫌だった。
 だからレジーナは言葉をためらったのだが――

 男性は。
 なにかに気付いたように、「あ」と声を漏らす。


「ひょっとして『死なない宿屋』をご利用で?」
「実在するんですか!?」
「まあ、その噂通りの宿が実在するかと言われれば返答に困りますが、その噂自体はウチの宿を指したもので間違いはないですよ」


 なんと、都市伝説の宿屋は本当にあったのだ。
 色々探り、『どうせ今回もガセだろう』という思いでいたレジーナにとって朗報である。


「あ、あの、その、えっと…………死にたくないんです!」
「落ち着いてください。誰でもそうです」
「うやっ、失礼をいたしまして! あのですねえ、えっと、挑みたいダンジョンがあるんですけど、そのダンジョンのレベルが高くて……でも挑まないといけなくって……それで、死にたくない……」
「はあ、だいたいわかりました。それで、ダンジョンレベルと……一応、あなたのレベルもうかがっておきましょうか。冒険者ギルドでレベル判定はしてもらったでしょう?」
「は、はい。私のレベルは十です」
「まさに駆け出しという感じですねえ。でも、ステータスを見るともうちょっと高そうに見えますが」
「……すてーたす?」
「いえ。俺の世界の言葉です。お気になさらず。それで、挑みたいダンジョンのレベルは?」
「四十です」
「……普通、自分のレベルとダンジョンレベルを比較して、自分のレベルより五以上は低いダンジョンに挑むのが、冒険者的な通例かと思いますが」
「それがなんの間違いか三十も高いんですよ…………死にたくない」
「なぜ挑むのかは、まあ置いておいて、『挑む』というのは『探索』ですか? それともダンジョンマスターを倒して『制覇』したいと?」
「いえいえいえいえいえ! そんな、制覇だなんて身の程知らずなことは……『探索』です。ちょっとほしいものがありまして……それも、可能な限り早く……早く……」
「ほしいもの?」
「えっと、お金と……あとは、『きらめく流砂』っていうアイテムなんです」
「はあ、なるほど。ということは『足を奪う塔』に挑むわけですね。よかった。それなら一日ちょっとで終わりそうだ」
「……一日ちょっとで? なにがですか?」
「ああ、失礼。当店が『死なない宿屋』と呼ばれるゆえんを説明していませんでしたね」


 受付の男性は微笑む。
 レジーナはその優しそうで包容力を感じさせる男性が、どのような素敵な魔法――現実にある魔法ではなく、お伽噺的な意味での魔法――をかけてくれるのか、わくわくしながら言葉を待つ。
 そして男性が言い放った『死なない宿屋』と呼ばれるゆえんとは。


「当店では宿泊してくださったお客様に、サービスで修行をつけております」
「……修行ですか?」
「はい。修行により強くなり、結果的にお客様の死亡率が下がるということですね」
「…………死亡率? お客様の?」
「死亡率です。お客様の」


 不可解な言葉だな、とレジーナは感じた。
 死亡率とはすなわち、死亡する確率のことを言うのだろう。

 表現自体は耳にするものだ。
 よく、レベルの高いダンジョンなどは『死亡率』という不吉な数字が資料に載っていたりもする。

 それはいい。
 だって、ダンジョンに挑んだうち何人が生き残ったかは、計測しようがあるからだ。
 でも。


「……あの、人の命は一つしかないです」
「そうですね」
「一つしかないものは、『なくした』か『残った』かしかないと思います」
「そうですね」
「それなのに『お客様の死亡率が下がる』とは……? ひょっとして、この宿からダンジョンに挑んだ人は、少なからず死んでいるんですか……?」
「いえ、今のところ、観測できる中で、修行をつけたお客様は全員生存していらっしゃいますよ」
「では、死亡率とは……?」
「こちらをごらんください」


 と、男性が片手で横にかざす。
 すると、手のひらの先になにかが出現した。

 それは青い、人の頭部と同じぐらいの大きさの、球体だった。
 ほのかに発光しており、ふよふよと宙を漂っている。


「……これはなんですか?」
「『セーブポイント』です」
「……せーぶぽいんと?」
「はい。これに向けて『セーブする』と宣言していただくと、この球体が消えない限り、死んでも球体のある場所で復活が可能です」
「…………えっ? …………………………えっ?」
「復活の際、獲得した物品や、経験、知識、記憶などは死亡時のまま残ります。ただし、失った物品や損傷した装備などは戻りません。あと、俺がこの球体を消してしまうと、再びセーブするまで復活は不可能になりますので、ご注意ください」
「……………………………………えっ?」
「修行はこれを用いて行います」


 矢継ぎ早に意味不明なことを言われ、レジーナは困惑する。
 けれど、じっくり考えて。
 ようやく、男性の言いたいことに思い当たった。


「……あの、まさかとは思うんですけど」
「はい?」
「その、修行が死亡前提のように聞こえるんですけど」
「その通りですね」
「あの、さっきも言ったんですけど……えっと、これ、ひょっとしたら私がおかしいのかな? ううんと、いちおう、言いますけど……死にたく、ないんです」
「大丈夫、結果的に生き残りますよ」
「……」
「死にはするけれど、復活しますから。ああ、お疑いですか? 結構。ならば見本を見せましょう。『セーブします』」


 男性はそう言うと、止める間もなく、右手の平を自分の顔に向ける。
 そして、右手の平から閃光がほとばしった。

 魔法だ、と思う。
 普通、魔法というのは詠唱や決まった動作があるものなので、男性の詠唱なし予備動作なしのその行為が魔法なのかなんなのか、レジーナには確定できない。

 どういうことなのか考えることもできなかった。
 レジーナの目の前で、頭部を失った男性が背後へ倒れこむ。


「……………………えっ? …………………………………………えっ!?」


 死んだ。
 あれで生きているはずはないだろう。

 じゃあ、なにか。
 あの男性は躊躇なく自ら頭を吹き飛ばして、死……?


「うっ、受付さん!? 受付さーん!?」
「あ、俺は受付ではなく店主です」


 パッ、と。
 まったく目を離していないというのに、突如、受付の男性はレジーナの視界に現れた。

 頭部はある。
 襟首が一部消滅してはいるものの、そこには変わらぬ笑顔を浮かべた、受付男性――否、宿屋店主の姿。


「どうも申し遅れまして。『銀の狐亭』店主のアレクサンダーと申します。アレクでもアレックスでも、お好きなように読んでいただければ」
「……えっ? 今……えっ? 死……えっ!?」
「これが『セーブ&ロード』の能力です」


 こともなげに男性は言った。
 つまり、どうやら、信じがたいことに、本当に、この男性は一度死んで復活したらしい。


「これを、これからあなたにほどこす修行で使用します」


 死んで復活するようなことを。
 これから修行で行うらしい。


「……あ、あの、あのあの、私、その……えっと……死にたくないです……」
「大丈夫です。俺はこうして生きているでしょう? まあ、最初はつらいかもしれませんが、大丈夫ですよ。最初の修行を超えれば、死ぬとはどういうことかわかります」
「ちなみに最初の修行っていうのは……?」
「王都南に、底の見えない断崖絶壁がありますね?」
「は、はい」
「そこから飛び降ります」
「はい?」
「断崖絶壁から飛び降ります」
「人は飛べますか?」
「いえ、飛べませんね。落ちるだけです」
「死にますよね?」
「死にますが、代わりに丈夫さが上がります。あと、覚悟もつきます」
「あの、死にたくないです」
「大丈夫ですよ」


 男性は微笑む。
 安心感を覚えさせるような、穏やかな笑顔で。


「だって、セーブすれば、死んだって生きてますからね。安心でしょ?」


 耳を疑うようなことを。
 とても簡単そうに述べるだけだった。



◆2話 修行

 そもそも、レジーナはその修行を受けるかどうか選択することができた。
 あくまでも宿泊客に対しほどこすサービスの一環らしいのだ。

 まだレジーナは宿泊客でさえない。
 このままきびすを返して、全部忘れることもできるのだ。

 でも。
 ……そもそも、抱いたのは、尋常なる手段で果たせる目標ではない。

 レベル十の自分が、レベル四十のダンジョンに挑む。
 普通、冒険者というのは一生をレベル三十程度のダンジョン探索で終えることだって珍しくないのだ。
 それを駆け出しも駆け出し、冒険者歴一月さえない自分が、四十のダンジョンに、可能な限り早く挑もうとしている。

 死なない宿屋。
 そもそも都市伝説にすがるしかないほど追い詰められていた。

 そして、都市伝説は実在し、伝説の主は自分に協力的だ。
 ならばこの幸運を活かすべきではないのか?

 彼の行う『セーブ&ロード』の効能は先ほど見せてもらった通りだ。
 死なない。
 たしかに、死なない。

 だったら大丈夫だ。
 自分はつらい目に遭っても、生きて、お金をかせぎ、『きらめく流砂』を母に見せてあげる必要がある。

 だから。
 修行を受けることにした。

 そして。
 心が折れた。


「もうやだあ……! 痛いのも、苦しいのも、やだあ……! なにが目的ですか……!? 私をいじめて、どうしたいんですか……!? 許して……許してください……!」


 ここは王都南に位置する絶壁付近だ。
『世界の果て』とも言われる深い溝があり、この底は別の世界につながっているだとか、渡りきると黄金の都があるだとか、様々な物語のネタにされていた。

 あたりはすっかり暗い。
 セーブポイントの放つほのかな青い光だけが、あたりを照らしている。

 その光の中に浮かび上がるものが、レジーナの視界に二つ。
 一つは、謎の大きな包みだ。

 大人が三人は入れそうな非現実的な物体である。
 アレクは軽そうに背負っていたので、そう重いものではないのだろう。

 もう一つは、アレクだ。
 彼は、笑っている。
 ずっと。
 レジーナが飛び降りを嫌がって泣きわめいている時だって、ずっと。


「そうは言われましても、これが修行ですので。効果はきちんと出ていますよ。今のあなたでしたら、料理中に包丁で指を切ろうとしても、『コツン』で済むでしょう」


 彼は苦笑していた。
 わがままを言う子供をあやすような、そんな大人びた雰囲気があった。

 言っている内容はよくわからない。
 刃物が通らない人体になったという意味に聞こえたが、気のせいだと思いたかった。


「まあしかし、そろそろいいでしょう。この修行は初歩なのでやりすぎても効果が薄い。このぐらいにしておいて、次に入りましょうか」
「……このぐらい?」


 このぐらいとは、どのぐらいなのだろうか。
 飛び降り回数が二桁を超えてから数えていないのだけれど……

 始まったのは昼だった。
 もう暗くなるまでずっと、飛び降り続けている。

 昼でさえ底の見えない絶壁は、夜になるとまた格別だ。
 化け物の口にしか見えない。

 こともあろうに、その『口』の中に、彼は『自ら飛び込め』と笑顔で言うのだ。
 たしかに復活できる。
 実際に、何度も生き返った。

 けれど。
 生き返れることと、死にたくないことは、また別のお話だ。
 どうやらその感覚が、彼にはよくわからないらしかった。

 おおよその人と感覚を共有できないだろう彼は笑う。
 そして、穏やかに口を開いた。


「あなたの次の修行は、『食べるだけ』です」
「……食べるだけ?」


 レジーナは首をかしげる。
 今の『飛び降り自殺』としか呼べない修行と比べて、あんまりにも難易度が低く聞こえたからだ。
 しかし。


「そうですね。今の修行は『落ちるだけ』でしたので」


 あの恐怖との戦いをその一言でまとめる彼を見て、レジーナの瞳から光が消える。
『食べるだけ』とは、『食べるだけ』ではない。
 また死への恐怖との壮絶なる戦いが待っているという意味に他ならない。

 しかし――想像はつかなかった。
 果たして食べることがどういう修行になりうるのか?

 死んだ目で口からよだれを垂らし、目の端に涙のあとを残し、『えへっえへっ』と笑う、真面目な顔をしたいのに恐怖のせいでつい卑屈な笑みになってしまうレジーナに対し――
 アレクは告げる。


「人は普段の食事で『HP』を鍛えています。この修行では、それをより効率よく鍛えます」
「……えっと?」
「HPですか? ステータスの一つですね。体力とか、そういうものです」
「はあ……アレクさんは不思議な言語を使いますよね? どこかの方言でしょうか?」
「異世界の言葉です」
「……異世界?」
「前世が異世界人だったもので」


 彼は笑顔のままだった。
 冗談なのか本気なのか、気が狂っているのか判別がつかない。
 きっと三番目のような気がする。


「話を戻しますと、その普段の食事でしか成長しないはずの『HP』を一気に増やしてしまおうというのが、これから行う修行なのです」
「なにかゲテモノでも食べさせられるんですよね……わかってますよ……うふふふ……」


 光の消えた瞳でどこか虚空を見ながら、カタカタと全身を震わせ、レジーナは笑う。
 しかし、アレクが述べたのは、レジーナの予想を裏切るものだった。


「食べていただくのは、炒った豆ですよ」
「……豆? それは、豆という名前の、よくわからない生き物の踊り食いとか……?」
「いえ、豆は豆です。色々な食材で試した結果、一番効率よくHPが伸びたのが豆でしたので、この修行ではだいたい豆を使っています」
「あ、そうなんですか……豆なら、知ってますよ……うちは母が売れない冒険譚作家で貧乏だったので、幼いころから主食でしたから」
「そうなんですか。今度の修行は、その豆を食べるだけですよ。ね、簡単でしょう?」
「……ひょっとして、最初の修行が一番つらいんでしょうか? 飛び降りが一番つらくって、あとは結構楽っていうか……」
「まあ、俺の修行はやや特殊なので、慣れていただくまでが一番きつい可能性は否定しませんねえ。慣れていただければ、あとはもう、ぬるいものですよ」
「ああ、よかった。あんな命を捨てるような、修行と呼んではいけないものがずっと続くのかと思っていましたよ……」
「命を捨てるのはよろしくないですよねえ」
「はい! ああ、本当によかった……ごめんなさい。私、アレクさんのこと、ちょっと頭がおかしい人なのかと思っていました……だっていきなり『飛び降り自殺』ですから。びっくりしちゃいましたよ」
「いえいえ、俺は普通ですよ。きちんと修行には意味があり、目的があります。少々特殊なのは『セーブ&ロード』という特異性を活かし、効率的に推し進めていくからであって、きちんと理解していただければ賛同を得られるものと確信しておりますよ」
「ですよねえ。あ、それで、私が食べるというお豆はどこにありますか?」
「こちらです」


 彼が示したのは、そばに置いてあった包みだ。
 あの、人が三人は入れそうな、非現実的なものである。

 レジーナは『豆』という物体について回想する。
 それは、指先程度のサイズの、楕円状の、すべてが曲面で構成された物質のはずだ。

 つまり大きくない。
 よって、あんな非現実的な大きさの包みはいらない。

 そこまで導き出して。
 レジーナは、アレクにたずねた。


「あの、包みの中身は、豆の他になにが?」
「いえ、豆だけです」
「……ちょ、ちょっと待ってください……今、ものすごいこと思いついちゃいました」
「おや、なんでしょうか?」
「えっとお……そのお……豆を食べるんですよね。それで、大人三人が入れそうなあの包みの中身は全部豆」
「はい」
「……一人分ですか?」
「はい」
「……ああ、なんか、その、こういう冗談みたいなこと言って変に思われないか不安なんですけど……その包みの中身を全部食べろとか、おっしゃいません、よねえ……?」
「理解が早くて助かる。そうですね。全部召し上がっていただきます」


 レジーナは自分の体を見下ろした。
 どう見たって、年齢にしては平べったくて、背が低くて、細い体だ。

 実はもう十八歳になる。
 だというのに、しかもドワーフやドライアドなど小柄な種族ではなく人間なのに、この体つきなのだ。
 きっと、傍目には十三、四歳ぐらいにしか見えないだろう。

 自分の体が自分の認識通りであることを確認し、視線を包みに転じた。
 見上げるほど大きい。
 つまり、体より大きい。
 その包みには大人三人が入りそうで、レジーナなら六人はつめこめそうだ。


「……あの、無理です」


 それは論理的な帰結だった。
 自分の体より大きなものを食べきれるはずがない。
 考えるまでもなく、当たり前の話である。

 しかし。
 アレクは笑う。


「たとえ話をしましょう」
「はあ」
「たとえばあなたがセーブ後、矢に貫かれて死んだとします」
「嫌なたとえ話ですね……」
「必要なことですので。矢に貫かれて死んだとします。すると、復活した時、矢はあなたの体に刺さっていない。獲得したものは残るのに、あなたを殺した矢は残らないのです」
「なんでですか?」
「理由は俺にもわかりません。でも、そのお陰で『セーブしたことにより永遠に死に続ける』という事態は発生しないのです」
「…………まあ、はあ、はい」
「ここで『矢』を『豆』に置き換えて考えてみましょう」
「…………………………いや、置き換わらないです」
「あなたが、豆を食べ過ぎて、呼吸困難、あるいは内臓破裂により死んだとしますね」
「死んだとしない方向はありませんか?」
「死んだとしますね。すると、復活した時、豆はあなたの体に残っていない。なぜならば、豆はあなたを殺した凶器だから」
「…………」
「しかし体は、大量の豆を摂取したと学習し、HPは伸びます。これは、詳しいメカニズムを問われても困りますが、膨大な実体験からして、たしかなことです」
「……………………」
「しかも、修行は命懸けで、必死にやる方が、ステータスがよく伸びる。だから、あなたは死ぬほど豆を食べます。死ぬと、あなたを殺した豆が消えます。胃袋は、空っぽです。また新しい豆が入りますね。また、死にます。すると、また胃袋は空っぽです。また、新しい豆が入りますね」
「………………」


 レジーナは無表情でその話を聞いていた。
 しかし、体はカタカタと震えているし、目の端からは涙がこぼれ落ちていた。


「死にます。新しい豆が入ります。死にます。新しい豆が入ります。死にます。新しい豆が入ります。死にます。新しい豆が入ります。死にます。新しい豆が入ります。死にます。新しい豆が入ります。死にます。新しい豆が入ります。……おや? もう豆がない?」
「……」
「完食」


 にこり。
 彼は優しく微笑む。


「今回の修行はそのような流れです。なにか質問などございますか?」
「お母さんに会いたい」
「それは目標達成後、ご自由にどうぞ。他には?」
「あの、私、お金はないです」
「宿代は後払い制ですので、修行の成果を活かしダンジョン攻略などで稼いでいただければ大丈夫ですよ。この宿は冒険初心者支援が目的ですからね」
「いえ、その、宿代はきちんとお支払いします。でも、そんな、私を拷問したって、お金もないですし、なにか特別なことを知っているわけでもないですし、あるのはこの体ぐらいですけど、こんな貧相な体なんて、そんな、わざわざお時間を費やしてまで手に入れる価値はないと思いますよ……?」
「なにか勘違いなさっているようですね」
「……」
「はっきりしたことを申し上げておきますと、これはあくまでも修行であり、あなたからなにかを引き出すための拷問ではありません。それに、俺は拷問を受けたことはあってもやったことはないですよ」
「…………」
「次に、俺は妻子持ちなので、お客様に対しよこしまな感情は一切ございません」
「…………結婚できるんですか? その人格で?」
「なんら変わったところのない、大人しい性格でも、世間は広いもので、相手がいます。他にご質問は?」


 そうじゃない。
 でも、説明できなかった。

 口ごもる。
 彼は笑う。


「では、質問もないようなので、始めましょうか」


 開かれる包み。
 本気で一部の隙もなくギッチリつめこまれた豆があふれ出す。

 ただの食材。
 慣れ親しんだ貧乏飯。
 でも、今はその炒り豆が、自分の頭部を貫かんとする鏃《やじり》にしか見えなかった。



◆3話 休息『銀の狐亭』


「うぐっ……ひぐっ……おかあさん……おかあさん……」


 時刻は朝になっていた。
 そこには倒れ伏しすすり泣くレジーナと、空になった風呂敷をたたむアレクがいた。

 セーブポイントはない。
 つまり、修行は終わったのだ。


「おかあさん……もう、私……豆を食べられない体にされちゃったよ……」
「余裕がありそうでよかった」


 アレクはそのようにコメントする。
 実際、レジーナに余裕があるかと言えば、そんなことは一切ない。

 立ち上がれない。
 もう体の中に凶器は存在しないはずなのに、まだお腹のあたりに重い異物感が存在した。

 なんでこんなことをしているんだろう?
 どうして人は死ぬんだろう?

 レジーナはそんなことを考えて、ようやく目標を思い出した。
 そうだ。

 母に『きらめく流砂』をあげないと。
 そして――お金を稼がないと、いけない。

 自身の原動力を思い出す。
 だから、レジーナはガクガク震える体を腕で支え、立ち上がった。


「……私、やります!」
「おや、どうしました? いきなり?」
「目標がありますから!」
「そうですか。では休憩をはさもうと思っていましたが、予定を変更して――」
「休憩します!」


 誘惑に逆らえなかった。
 もう限界なのだ。

 折れかけた心を奮い立たせはしたけれど、それはやっぱり折れかけていた。
 簡単に崩れる砂の塔も同然である。

 アレクは苦笑していた。
 それから、述べる。


「では、休憩にしましょうか。宿に戻り、食事や睡眠などをとって、起床後、『足を奪う塔』へと向かいましょう」
「はい!」


 そういうわけで。
 レジーナはアレクに連れられ、『銀の狐亭』へ戻ることとなった。



 ○



「おや、いらっしゃーい。その様子だと修行帰りだね」


『銀の狐亭』食堂。
 手狭だけれど、清潔感のある空間だ。
 中にはテーブル席とカウンター席が存在するが、そう多い人数を収容はできないだろう。

 カウンター内部には、一人の獣人族の少女がいた。
 金の体毛の、狐系獣人だ。

 顔には朗らかな笑みを浮かべており、親しみやすさ、というか人なつっこさを感じさせる。
 着ているものは給仕服とエプロンドレスであり、白黒の衣装にアクセントとして緑や赤があしらわれていた。

 従業員というか、お手伝いの少女、という風体だ。
 たしかアレクは妻子持ちとかいう話だったし、きっと彼の子供なのだろう。

 しかし『子供』と思うには大きいような気がしないでもない。
 アレクが年齢不詳なせいで、彼を中心に人物相関図を描くのが難しい。
 たずねようにも、いつの間にかいなくなっているし……

 とりあえず、声をかけてくれた相手を無視するのは失礼だろう。
 そう思い、レジーナは失礼にならない行動を開始した。


「ええと……はい。その、修行から帰ってまいりました。レジーナです」


 丁寧、というかおどおどとあいさつなどする。
 レジーナは基本的に気が弱く人見知りだ。

 修行中は良くも悪くもそういうこと言っている場合じゃなかったけれど……
 こうして普通のシチュエーションで初対面の相手と話そうとすると、相手がかわいらしい少女でも緊張してしまう。

 そのおびえが伝わったのだろう。
 狐獣人の少女は、苦笑した。


「今度のお客さんは気弱そうな人だねえ。ぼくは、ヨミ。よろしくね」
「あ、はい……えっと、それで……」
「食事できる? それとも飲み物だけ出そうか?」
「えっと……その……飲み物だけ……」
「あはは。了解!」


 明るい笑顔を浮かべて、彼女はカウンターの奧へ引っ込んでいく。
 レジーナはヒラヒラと揺れるヨミのスカートをながめた。

 なんだか、妙に安心する。
 初めて来たはずの宿屋、初めて会ったはずの少女相手に、とてつもなく安らぐ。

 ふと、レジーナはなにかが頬を伝う感触に気付いた。
 それは、いつの間にか流していた涙だった。


「うわ、どうしたのお客さん!?」


 飲み物入りのジョッキを持ってきたヨミが、おどろく。
 レジーナは『もう大人なんだからこんな子供に情けない姿は見せられない』と思い、革の籠手で涙をぬぐう。まぶたが痛い。


「なんでも……なんでも……ないです……!」
「あーあ……まったく、まーた人の心のこと考えないような修行したんだねえ……何度止めても本当に止まらないんだから、あの人は……」


 あきれつつ、ヨミがカウンターテーブルに飲み物を置く。
 そのまま、カウンター内部から出ると、レジーナの頭を抱きしめ、よしよしと撫でた。

 レジーナは複雑な心境だ。
 こんな少女に慰められて情けないと思う一方――
 この柔らかさとぬくもりに、とてつもない安心感を覚え、ずっとこうしていたいとも、思ってしまう。


「よしよし。大丈夫だからね。宿の中は基本的に安全だからね」


 宿の中は『基本的に』安全?
 わずかに不穏なことを言われた気もしたが、レジーナはうなずくばかりだ。
 ヨミはまるで母親が子供にそうするように優しい声で語りかける。


「大丈夫、大丈夫だよ」
「……うう……こんな、自分より年下の女の子になぐさめられて……」
「いやあ、ぼくの方が年上なんじゃないかなあ……」
「わ、私……私、よく、実年齢より下に見られるので……」
「ぼくもだけど……まあ、うん。なんだっていいよ。年下でも年上でもいいじゃない。甘えたい時に年齢なんか関係ないんだから」
「ヨミちゃん……!」


 レジーナから抱きついた。
 しばらく、ヨミの胸に顔をうずめて静かに肩を震わせる。

 柔らかくて、甘いような、いいにおいがした。
 温かくて、顔を押しつけても窒息しないサイズで、まるで顔をうずめるためにあるような胸だなと、おかしなことを考え始めた。

 これ以上はまずい。惚れる可能性がある。
 そう感じたレジーナは、「もう大丈夫です」と言って、鼻をすすりながら顔を放す。
 ヨミは首をかしげる。


「そう? 大丈夫?」
「はい……ありがとうございます……こんな……私だってもう大人なんだから、しっかりしないといけませんね」
「あ、十五歳は超えてるんだね……」
「はい。よくそれより下に見られますけど……」
「あれ? だったら、見た感じ冒険者なりたてって様子だけど、なんで今、冒険者をやろうと思ったの? 普通、冒険者っていうのは成人前からやるしかなくて、成人後も流れでやるものだと思うけど」


 たしかに、そういう冒険者が一般的だとは思う。
 ダンジョンにもぐり、モンスターと戦う冒険者という職業は危険だ。
 また、収入も安定しない。
 それ以外の職業で安定した収入を得られるならば、その方がいいだろう。

 中には一攫千金を夢見て始める者もいる。
 ある意味で、レジーナもそのタイプだ。


「私は……家の借金を返したくて……」
「ああ……なるほどね。それなら安心していいよ。この宿で修行を受けたら、強くなるのは確実だから。借金返済なんてすぐだよ。まあ、修行内容はおおむね不評だけど……」
「でも、それだけじゃないんです」
「……と、いうと?」
「『きらめく流砂』がほしくて」
「……『きらめく流砂』? なにか高額で売れるもの? それとも武器とか防具の素材?」
「いえ、その……私の目的は、伝説なんです」
「ふぅん? どんな?」
「……物語が、浮かぶらしいんです」
「?」
「えっと、『きらめく流砂』は物書きのお守りらしくって、その輝きを見ていると、頭の中にどんどんアイディアが浮かんでくるっていう……あ、私の母が、冒険譚作家なんですけど」
「ああ」
「……最近、まったく書けずに、苦しんでて」


 母の綴る話は、売れない。
 だからずっと貧乏暮らしだった。

 でも。
 レジーナは、母の語る物語が、大好きだった。
 それをもう一度聞きたくて。


「だから、私がお母さんに『きらめく流砂』をプレゼントしてあげたいんです」


 そんなのが、命を懸ける理由なのだと。
 共感も理解も必要のない、彼女だけがその大事さをわかっていればいい願いを述べる。

 ヨミは。
 笑って、レジーナの頭をなでた。


「応援するよ。がんばって」


 その笑顔を見て、レジーナはまた泣きそうになる。
 でも、元気をもらった気がした。



◆4話『足を奪う塔』

『湯船をためてつかることのできる風呂』。
『見たこともない異世界のものだというオリジナルの食事』。
『藁でも布を詰めただけでもない、体を包みこむような弾力のあるベッド』。
 それら、豪華すぎる、場末の宿屋どころか世界のどこにもありえない設備を体験し――

 翌日。
 レジーナはアレクと二人、『足を奪う塔』の前まで来ていた。

 持ち物は簡素なものだけだ。
 レジーナは、半日分の食糧が今は入れられた、お宝をおさめるためのポーチ一つ。
 服装はシャツに古くさい革鎧と籠手、そして馬上槍だ。

 アレクは、宿屋で働く普段の服装からエプロンを外しただけ。
 持ち物は、大きな革のリュックが一つだ。
『大きい』とはいえ、子供だって入らないだろうそのリュックは、以前豆を入れていた包みに比べれば、ずいぶん常識的な装備に見えた。

 朝の光に照らされた、やや肌寒い時間帯。
 たどり着いたダンジョンを前にして彼は口を開く。


「ご存じのようですが、一応簡単に、このダンジョンについてご説明しましょうか」


 塔の入口前で、アレクはそんなようなことを言う。
 レジーナは彼の方を見ず、これから挑むダンジョンを見上げていた。

『足を奪う塔』。
 天高くそびえる、焦げ茶色の石でできた円錐形の建造物の名前が、それだった。

 ひどく凶悪な名前だけれど、さもありなん。
 ダンジョンレベルは四十という、一部の才能ある冒険者しか挑まないような場所だ。


「内部は流砂がうずまいています。これは、通常の足腰ですと足をとられ、砂と同じ方向に流され、最終的にはモンスターの巣穴に放り込まれると、そういう仕掛けですね」
「……はい」
「その仕掛けと、仕掛けの奧に待ち受けるモンスターのせいでダンジョンレベルは四十になっておりますが、逆に言えば、仕掛けさえ見切り、モンスターと出会わなければ、子供でも探索できます」
「……でも、中の流砂は複雑に流れていて、正しいルートを熟知していないとただ進むことさえ困難だって聞いてます」


 簡単に攻略できるならレベル四十ではない。
 流砂の流れを見切るのは大変なことだ。

 マップもない。
 ただし、描いた人がいない、という意味ではない。


「さて、ここで質問があります。あなたの求める『きらめく流砂』は店で買えますね?」


 ……そうなのだ。
『きらめく流砂』は、出回る数こそ少ないものの、店売りされている。

 もちろん高価で、今のレジーナが手を出せるものではないが、買える。
 なぜならば、マップを描き、独占している人が仕入れて売り出しているからだ。

 先ほどアレクも言っていたが、このダンジョンは、流砂の流れさえ熟知していれば難しくない。子供でも探索できるというのはさすがに大げさかもしれないが、難易度はグッとさがる。
 だから、アレクはたずねるのだろう。


「本当に、自分でこのダンジョンに挑みますか? もっとレベルの低いダンジョンでお金を稼いで、お店で買ってもいいと、俺は思いますけれど」


 わざわざ危険を冒すことはないと彼は言う。
 それは『冒険者』という職業自体を否定するような発言だけれど……

 実際。
 普通の冒険者は、人の口にのぼるほどの冒険はしないものだ。

 だって、冒険は生きていくための手段だから。
 多くの人がレベル三十程度のダンジョンを探索し一生を終えるというのは、そのためだ。

 人はルーチンワークをしたがる生き物だとレジーナは思う。
 毎日毎日、同じことを繰り返す。
 それで安全にお金を稼ぐことができて、生活できる。

 だからこそ。
 冒険者が実在するこの時代でも、創作冒険譚は売れる。

 ……いや。
 売れる創作冒険譚は、売れるのだ。
 レジーナの母の冒険譚は売れないけれど……

 収入が目的なだけならば、『危険を冒さない冒険』でもいいのだろう。
 わざわざ物語の主人公がそうするように、身の丈に合わないことをする必要はない。
 でも。


「私は、自分で『きらめく流砂』をとりに行きます」
「なぜ? 今のあなたの実力でしたら、店売りの品を買えるようになるのも、そう遠くない未来の話ですよ。保証しましょう。すぐ必要なら、代金を俺が立て替えてもいい。確実な返済が見込めますからね」
「だって、それじゃあ物語にならないじゃないですか」
「……」
「あの、『きらめく流砂』の伝説は知ってます?」
「物書きのお守りですよね? ヨミから聞きました」
「……それで、本当に『きらめく流砂』を所持しただけで、どんどんアイディアが湧いてくるとは思いますか?」
「……そのような魔法は存じ上げませんねえ。雑誌の後ろにある『幸運のお守り』と同レベルのうさんくささに感じます」
「……えっと」
「ああ、俺の世界の話です。お気になさらず」
「は、はい……とにかく、私は迷信だと思います。せいぜい気休めとか、その程度かなって」
「ではなぜ、この難易度のダンジョンに挑もうと? 普通、命懸けになるのに」
「だから、いいんです」
「……」
「『きらめく流砂』に力はなくても、私が『きらめく流砂』を求めた冒険は、きっと母に力を与えると思うんです。だから、私が取りに行かなくちゃ」
「ふむ」


 アレクは笑う。
 そして。


「俺にはあなたの言っていることがよくわかりません。きっと、多くの人は『そんなことに命を懸ける価値があるのか?』と疑問に思うでしょう」
「……」
「だからこそ、いいと思う。誰にも理解されないからこそ、俺があなたの助けになりたい」
「ありがとうございます」
「……では、『足を奪う塔』の攻略手順をお伝えしましょう」
「それもサービスの一環ですか?」
「いえ、修行の続きです」


 彼は笑ったまま淡々と述べた。
 レジーナは半笑いの表情で首を横に振った。


「え……? でも、修行……あれだけ、つらい、修行をして……え? 終わりじゃ……?」
「まだです」
「でもここ、本番の舞台ですよね? 母の書く物語だったら私の見せ場だと思うんですけど」
「そう言われましても。まあ足腰を鍛えて流されないようにしてもいいのですが、なるべく早い方がいいとのことでしたので、なるべく早くいける手順を踏んでいるまでです」
「ちなみに、ここでなにをさせられるんですか?」
「『死に覚え』」


 耳慣れない言葉だった。
 でも、レジーナにはそれが途方もなく不吉な発言に聞こえる。


「……なんですか、それ」
「『死んで』『覚える』から『死に覚え』ですね。ここが流砂の流れさえ覚えれば簡単なダンジョンというのは先ほど述べた通りです。けれどあなたにマップはない。そこで、実際に流されながらマップを覚えようと、そういうことです」
「…………あ、あのお…………記憶力に、自信がないって、いうか……」
「そこで、こちらを」


 と、彼が背負っていた革のリュックをおろす。
 それから口を開いて、中身を示した。

 レジーナはリュックをのぞきこむ。
 中にあったのは……

 大量の羊皮紙とインク。
 それから、羽ペンに……定規、分度器……?

 レジーナが戸惑っていると。
 アレクが笑顔のまま説明を開始した。


「こちら、地図作成キットとなっております」
「……あ、あの、ひょっとしてですけど、それで、自分で地図を作れと?」
「記憶の中でマップを埋めるより、物質的にマップを埋める方が、マッパー的には楽しいですからね」
「…………あの、間違っていたら申し訳ないんですけど」
「お気になさらず。なんでしょうか?」
「その地図作成キットに、私は流砂に流されたあと、マップを描いていくんですよね?」
「はい」
「でも、流砂に流された先は、モンスターの巣なんですよね?」
「はい」
「……いつマップを描くんですか?」
「描く場所としては、モンスターの巣が適切ですね」
「…………あの、このダンジョンがレベル四十の理由の半分は、モンスターの強さにあるんですよね?」
「半分というか、全部ですね。流砂が怖ろしいのも、そのモンスターの巣に運ばれるからであって、流された先にモンスターがいないならば、流砂は恐るるにたりません。まあ巣穴に呑み込まれると、普通、誰かの助けなしでは出られませんが。だからモンスターからも逃げられない」
「そんなモンスターの巣でのんびりマップを描く時間がありますか?」
「丈夫さとHPを鍛えました」
「…………」
「それら二つは、あなたに『マップを描く時間』を与えてくれるはずです。他に質問は?」
「モンスターを倒せたりは……」
「攻撃力が足りません。丈夫な甲殻を持つアリジゴク……こっちの世界で通じる表現かな? まあ、巨大なハサミを持つ虫系モンスターですので、あなたの今の攻撃は通りにくいと思いますよ。引き返して攻撃力を鍛えてもいいですが、それよりも死にながらマップを描く方が、総合的に判断して時間の短縮になります」
「………………」
「他に質問は?」
「……そのモンスターさんは、マップを描くあいだ、待っていてくださったりする……?」
「ははは」


 どうやら自分は面白いことを言ったらしい。
 レジーナにはなにがなんだかわからなかった。


「あなたのお母様が、いい冒険譚を書けるといいですね」


 彼は笑う。
 そして、『セーブポイント』を出現させた。

 レジーナも笑う。
 でも、その笑顔は引きつっていて、目には涙が浮かんでいた。


◆5話 きらめくもの

 レジーナがマップを完成させ、『足を奪う塔』を出ると、あたりはすでに真っ暗だった。
 半日はかかっただろう。
 それとも、半日程度しかかからなかった、と喜ぶべきなのだろうか。

 塔の入口近辺は、ぼんやりとした青い光で照らされていた。
『セーブポイント』だ。

 そばには、アレクも立っていた。
 待っていてくれたのだろう。

 彼はいつもの笑顔でこちらを見る。
 そして、一礼した。


「お疲れ様です。目的の物は手に入りましたか?」
「あ、は、はい……」


 声には疲れが色濃くにじんでいた。
 実際にへとへとだ。

 もともとクセの強い髪は砂がからんで大変なことになっているし、服や武器だって砂まみれで、顔も体もかなり汚れているだろう。
 実際、武器は置いていけばよかったと後悔しているぐらいだ。
 重いしかさばるし、邪魔でしかなかった。

 平穏無事な道行きではなかった。
 何度も死んで、何度も甦った。

 それでも。
 達成した。

 レジーナは腰あたりに装備したポーチを探る。
 そうして取り出したものを、アレクの眼前に示した。


「これが『きらめく流砂』です」


 親指サイズの小さな瓶。
 ふたはコルクで閉じられており、落としたりしなければ開くことはないだろう。

 内部には、不思議なものが詰まっていた。
 周囲にはセーブポイントぐらいしか灯りがないにもかかわらず、様々な色に輝く砂。

 それは砂自体が内部で流動しているようだった。
 だから、たった一つの光源からでも、幾重にも幾重にも色を変えて輝き続けるのだ。


「おめでとうございます。あとは、お母様にごらんいただくだけですね」
「はい。……あ、でも、お金も手に入れないと……借金があるんです、実は……」
「マップは完成しましたか?」
「……え? あ、はい。描き損じもかなりありますけど……完成はしました」
「それを冒険者ギルドに持っていけば、まとまったお金になると思いますよ。もともと霊感商法みたいなことをしている人が独占しているようなので、別に公開してしまってもいいと俺は思います。まあ、先人よろしく、その『きらめく流砂』を売ったっていいですけどね」


 彼はなんでもなさそうに告げた。
 レジーナは、しばし呆然とする。

 まさか、ここまで考えてマップを描かせたのだろうか?
 単なる拷問の一種ではなかった?

 たしかに、未踏破ダンジョンのマップはそれなりのお金になる。
 難易度が高く、内部に価値がある物が多ければ多いほど、高く引き取ってもらえる。

『足を奪う塔』は、難易度も有用性もそこそこという感じだ。
 一応『きらめく流砂』というアイテムはあるものの、それ自体、物書きでもない限り必要とはしないだろう。

 というか、物書きにだって必要ない。
 本当にきらめくものは、こんな砂粒ではないのだから。


「……私の冒険は、母のインスピレーションを刺激するでしょうか?」


 アレクが正解を知っているはずがないのは、わかっていた。
 それでもレジーナは問いかける。

 彼は変わらず笑う。
 それから、しばし考えて、口を開いた。


「さて、俺は作家ではないので、インスピレーションとか言われてもよくわかりませんが」
「……ですよね」
「子を持つ親として、自分の子供が、自分のために危険を冒してくれたら、『なんて危ないことをするんだ』と怒るでしょうね」
「…………ですよね」
「まあ、怒りますが、同時に、嬉しくもありますかね」
「……」
「自分が単純な生き物だと自覚している俺でさえ、この程度には複雑なのです。きっとあなたのお母様は、もっと複雑な気持ちになることでしょう。その複雑な感情を生み出すという点において、刺激にはなるのでは?」
「……そうですか」


 レジーナははにかむように笑う。
 アレクはいつも通りの笑顔を浮かべて、セーブポイントを消した。


「では、帰りますか。一度宿へ? それともおうちへ?」
「できたらすぐ、母に『きらめく流砂』を――私が自分で冒険してとった宝物を、見せてあげたいです」
「では後日、宿代を支払いに来てください」
「……えっと、いいんですか? そんなに私を信用して……踏み倒すかもしれないのに……」
「まあ、宿屋以外の儲けがありますので。それに、せっかく宝物を手に入れたんだ。ここでつまらない事務処理をさせるのも、野暮でしょう?」
「アレクさん、空気読めたんですね……」


 たぶん宿で過ごした短い時間の中で、一番おどろいた。
 アレクは笑う。


「では、ここお別れですね。後日、宿でお待ちしておりますよ」
「は、はい! また、絶対にうかがいますから! その時は――新作はまだ無理だけど、母が書いた本を一冊、持ってきますね!」
「はい。楽しみにしております」


 レジーナが走って行く。
 アレクはそれを見送った。




 ――この物語は『銀の狐亭』にとある赤毛の少女がおとずれるより、あるいは白髪の少女が来るよりも、ずっと前の話。
 宿屋店主アレクサンダーの事情にかかわりのない、普通の来客に対する、店主の『普通の』対応を記したものである。